亀田大学

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こっちはお店で店員さんがベースを梱包している最中ですよ?(笑)。どうやら僕は"楽器"と"借金"でダブルの地雷を踏んでしまったようで、親父は大噴火でした。それで僕、家に帰って、泣きながら説明しましたよ。自分がどれほど本気でプロになりたいかという想いを、初めて口にして。

── たしか学長のお父様は商社にお勤めで、とても厳格な方でしたよね。

ええ。だから大学に入る時から確執はずっとあったんです。「僕は音楽でみんなの心を動かしたい」と言えば「人の心を動かす為にお前を育てたつもりはない!!」と返されて。「官僚か日銀に行って、日本の経済か政治を動かす人間になれ」と言われ続けてきましたからね。武蔵高校に通って偏差値だって70はあった息子なのに、どこでどう血迷ったのか、ミュージシャンになりたいと言い出した。大学は親父が思い描いていた東大には受けなかったものの早稲田には入って、ちょっと胸を撫で下ろした瞬間に信販会社からローンの確認が入ってしまった(笑)。そりゃまあ「バカモーン!!」とカミナリも落ちますよね(笑)。

── 結局その時はどんな顛末を迎えたのですか?

3日かけて説得して、どうにかローンを認めてもらいました。反対はしたけれど、親父が35万を出して出世払いするようなことは決してしなかった。自分で選んだ社会の厳しい仕組みの中で、ちゃんとやれよという人だった。でも僕は、そういう育て方をしてくれた親父に対して、今は本当に感謝の気持ちでいっぱいなんです......。


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シーン・チェンジズ(1958年。EMI)
1.クレオパトラの夢
2.デュイッド・ディード
3.ダウン・ウィズ・イット
4.ダンスランド
5.ボーダリック
6.クロッシン・ザ・チャンネル
7.カミン・アップ
8.ゲッティン・ゼア
9.ザ・シーン・チェンジズ

(解説)
『ザ・シーン・チェンジズ』は1958年にリリースされた、バド・パウエル(1924-1966)の全盛期とされるアルバムの中の一枚である。彼の神がかり的に鋭い切れ味を持つ凄味のあるピアノを収めた名盤として、今なお多くのジャズファンに愛され続けている。この中でベースを弾くポール・チェンバースは195060年代にかけて活躍したジャズ・ベーシストである。1935年、アメリカはピッツバーグ生まれのデトロイト育ち。最初はベースではなくチューバなどの管楽器を10代から学んでいた。1954年に単身ニューヨークへと渡り、ジョージ・ウォーリントンのバンドに加入。その後、マイルス・デイヴィスのレギュラー・バンドに移籍。1962年のバンド解散後は、ウィントン・ケリーと約3年間活動し、その後はフリーで活動を始める。ジョン・コルトレーン、ソニー・ロリンズ、キャノンボール・アダレイといったジャズの巨人たちをはじめとする多くのミュージシャンとレコーディングを行った。幼少期の管楽器経験に根ざすとも言われるメロディックなベースラインが大きな特徴とされている。大量の飲酒や麻薬の常習者だったチェンバースは、1969年、肺結核でこの世を去った。モダン・ジャズの本流とも言うべきオーソドックスなスタイルを生涯変えなかったジャズ・ベーシストとして知られている。

     
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