亀田大学

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── そうでしたか......学長と小林武史さんは後にap bank fes で合流することとなるわけですが、小林さんのサウンドプロデュースには当時どのような印象をお持ちでしたか?

当時から明らかに他の人とは違う空気を作っていたと思います。ともかく、音楽から出てくるエネルギーがものすごかった。勿論、今でもすごいんですけど、様々なアーティストも手掛けていらっしゃったので、その分何が出てくるか分からないという期待値もありました。だって、ミリオンセラーを記録した小泉今日子さんのシングル「あなたに会えてよかった」が91年で、『ずっとあなたが好きだった』(92年)、『ダブル・キッチン』(93年)、『誰にも言えない』(93年)といったTBS系のテレビドラマ音楽が続いて、96年には監督作の『スワロウテイル』公開があって、YEN TOWN BAND名義の「Swallowtail Butterfly ~あいのうた~」が大ヒットしたわけですから、やっぱりものすごいですよ。プロデューサーが手掛けることによって引き出されるパッションっていう意味に於いて、この「真夏の果実」は破格だと感じたし、この曲を聴いて以降、僕自身の仕事のスタイルそのものも、手掛けるアーティストのパッションを引き出す姿勢に進んでいきましたから。

── 88年のシングル「みんなのうた」以降、小林さんが手掛けたサザンの編曲やプロデュースには、アルバムではこの『稲村ジェーン』と『世に万葉の花が咲くなり』(92年)、シングルではこの「真夏の果実」と、「シュラバ★ラ★バンバ」(92年)、「涙のキッス」(92年)、「クリスマス・ラヴ(涙のあとには白い雪が降る)」(93年)などがありました。

k_95.jpgはい。後に御本人とお会いした際に言われましたよ。「『世に万葉の花が咲くなり』は傑作だよ。俺も、タクちゃん(山本拓夫。サックス)もすごいしオグちゃん(小倉博和。ギター)もすごいんだから!」って(笑)。

── その小林さんとの最初の出会いは?

「たしか2001年の『ジョン・レノン スーパー・ライヴ』でした。(椎名)林檎さんとの仕事を聴いて下さっていて、「君、音に力があるよ。すごいよ」って誉めてくださって。その後、食事をご一緒させてもらった時に、熱い想いを伝えました(笑)。

── それがap bank fes.への参加に繋がるわけですね。

はい。今年の夏は、残念ながらライブはお休みのようですが、10年近く一緒に歩んで来られて、本当に幸せだと感じています。

[当時の学長] 知られざる苦難。試行錯誤の日々。そして今日へ。

── さて、この当時の学長はどのような生活を送っていらしたのでしょうか? 前回までは大学生活で、宅録とセッションに明け暮れ、問題の多かった"カノジョ"との日々を語っていただきましたが、その講義の最後に「これまでお話していた学生生活の裏で、実は十代後半から続いていた或る重大な出来事と直面しながら、プロへの道を歩んで行く」と語っていらっしゃいましたね。

はい。この頃の僕は24歳で最初のプロダクションに所属したり、プロとして音楽業界の入口に立ったばかりでした。いわゆる"ギョーカイ"な大人の人達のパシリや、「勉強のためにCD200枚買って聴いてこい!」なんて言われて、お金が無いからレンタルだけど本当に200枚借りて聴いたりしていましたね。いじめられたり、イヤな思いをしたこともありました。でも、その度に「自分は絶対こんなつまらない大人にはならないぞ!」という想いを強く固めていました────でも、実は僕が過ごした18歳から30歳までの間というのは、一方で母のがんの闘病史だったんです。

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